tag:blogger.com,1999:blog-67546634619054399472009-07-05T22:15:12.708-10:00風の吹くままに (ハワイより)ホノルル教会からお送りしますハワイの風、少しでもその風を感じて欲しいと思っています。 風を感じたらぜひ、教会へお越し下さい。
お待ちしております。風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.comBlogger107125tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-85842723466197721842009-07-05T22:05:00.002-10:002009-07-05T22:15:07.327-10:007月5日2009年の週報に掲載<div><a href="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090703-009-7-764523.jpg"><img style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 10px 10px 0px; WIDTH: 134px; CURSOR: hand; HEIGHT: 200px" alt="" src="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090703-009-7-764520.jpg" border="0" /></a> このコラムは、いつもより早めに書いています。皆さんの目に触れている今は、私は修養会も終わり、サンファナンド教会で礼拝を守っている最中だと思います。<br /><br /> まだハワイにいる今から、最高に恵まれ、感謝で一杯ですと、報告させていただきます。ホノルルの礼拝も、ウィルソン美代子さんの証しを通して、神の恵みが溢れている様子が目に浮かびます。<br /><br /> さて、ハワイ聖会はすでに終わりましたが、神の言葉がより深く心に迫ってきました。参加できなかった方は、是非CDをお聴きください。特に3回目の集会で、教会にとって、クリスチャンにとって、魂の救いにまさるものはない。福音を伝えるという、この務め以上の働きはない、と明確に語られました。<br />教会は、何のために存在しているのか? それはこの世に向かって、イエスを証することです。この第一の目的を見失ってはならないことを改めて強く思わされました。<br /><br /> さらに、この目的遂行のための妨げが、実は私たち自身の中にあるのではないか? 宣教の壁は教会自身が作っているのではないか? という語りかけは、大きなチャレンジでした。私たちの都合や、状況や、面子や、文化など、つまりどうでもいいものが、最も大切なことを妨げているのではないか? <br /><br /> 今一度、私たちは、本当に最も大切なことのために、つまり福音宣教のために、自らを捧げているだろうかと、聖霊が語ってくださったようにう思います。ブレイクスルー! 壁を打ち破りましょう。 <br /><p align="right">関牧師</p></div><div class="blogger-post-footer"><img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6754663461905439947-8584272346619772184?l=www.hccjapan.org%2FKazeblog%2Fblog.htm'/></div>風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-32592890291397176302009-06-29T02:59:00.002-10:002009-06-29T03:06:21.727-10:006月28日2009年の週報に掲載<div> 珍しくマノアの芝生が枯れているのが目立って、庭も茶色になっていました。最近、ようやくマノアらしい雨が降り、芝生も生き返ったように、緑を取り戻してきました。草木が喜んでいるのが聞こえるようです。<br /> あまり枯れていると、ちょっとした雨ではどうにもなりません。大雨が降らないと生き返りません。<br /><br /><a href="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090627-052-7-761933.jpg"><img style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 10px 10px; WIDTH: 134px; CURSOR: hand; HEIGHT: 200px" alt="" src="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090627-052-7-761931.jpg" border="0" /></a> ハワイ聖会が昨日から持たれています。このコラムを書いているのは、金曜日ですから、まだ聖会前です。しかし私は、気象予報士ならぬ、聖霊降臨予報士になって、聖霊の大雨を予報します。魂が渇いて、聖霊の大雨が必要な方、必ず傘をもって、いえ信仰をもってお集まりください。<br /><br /> イスラエルでは、乾季の期間は茶色の光景が雨季の到来と共に緑一面に覆われるそうです。まるで命一つ無いような光景の中にも、実は種が撒かれていて、雨が降るのを待っているのですね。<br /><br /> 私たちの内にも、神の言葉の種が撒かれているはずです。聖霊の大雨と共に、花を咲かせ、実を結びましょう。荒野に花が、荒地に川が、喜びの季節がやってきました。<br /><br /><p align="right">関牧師</p><br /><br /><p></p></div><div class="blogger-post-footer"><img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6754663461905439947-3259289029139717630?l=www.hccjapan.org%2FKazeblog%2Fblog.htm'/></div>風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-69518745347565834252009-06-18T09:37:00.002-10:002009-06-19T23:44:11.734-10:006月21日2009年の週報に掲載<div> 夜7時からの第3礼拝が始まりました。先週は11名の参加者のうち、昼間に参加出来なかった方が6名でした。本当に思い切って始めて良かったと思います。<br /><br /> 皆さんは私の体力的なことを心配してくださいましたが、リズムに慣れれば大丈夫でしょう。まだ若いですから。<br /> 確かに肉体的に無理をしていけないと思いますが、礼拝を捧げることによって、身体の内側から力が溢れてくるような感覚があります。今まで熱があったり、体調が悪くても、たいていの場合は賛美とメッセージの中で癒されています。悪化したことはありません。<br /><br /><a href="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090510-022-7-732921.jpg"><img style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 10px 10px 0px; WIDTH: 200px; CURSOR: hand; HEIGHT: 134px" alt="" src="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090510-022-7-732918.jpg" border="0" /></a> 賛美すればするほど、語れば語るほどに、力が溢れてきます。これは、聖霊の力なのでしょう。ただし体力には限界があります。生身の人間ですから、「心は燃えていても、肉体は弱い」と言われたイエスの言葉にも耳を傾けねばなりません。<br /><br /> 先週は「心に光を」の担当でしたが、火曜日だったでしょうか。頭痛がひどかったのですが、ラジオで思いっきり語ったらすっきりと癒されていました。やっぱりこれが一番の薬なんだなと思いました。<br /><br /> 霊肉共に健やかであるためには、やはり神を礼拝することが一番でしょう。首や背骨は健康にとても影響するらしいですが、ちょっとでもずれていると、どこかしら痛くなります。私も首がちょっとずれている所があります。神を礼拝することは、そのずれが真っ直ぐになるような感覚でしょうか。神への礼拝は、私たちの人生を真っ直ぐにし、健やかな人生をもたらします。今日も心から主を礼拝しましょう。<br /><br /><p align="right">関牧師</p></div><div class="blogger-post-footer"><img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6754663461905439947-6951874534756583425?l=www.hccjapan.org%2FKazeblog%2Fblog.htm'/></div>風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-19840074184762770162009-06-10T09:50:00.002-10:002009-06-14T19:29:02.739-10:006月14日2009年の週報に掲載<div> もう20年くらい前に親知らずを抜いて以来の抜歯でした。火曜日にあまり歯が痛いので歯医者に行ったところ、根の専門の歯医者に廻り、そこで、6年前に根の治療をした所がもうだめになっていて抜歯しかないと診断されて、別の抜歯の歯医者に廻って抜歯ということになりました。<br /> ドクターいわく、私のあごの骨がとても丈夫らしく、抜くのにも骨を割るような感じで、口の中で道路工事をしているようなものでした。3針くらい縫合してなんとか収まりましたが、永久歯を抜いたのは初めてです。皆さん、私のことをしきりに若い若いと言ってくださいますが、確かに若いのですが、髪の毛も歯も、だんだん抜けていくし、目と歯だけは良かったのですが、今回は歯、そして目も近いところがぼやけてきたし、ということで人生の後半に入ってきたなと感じています。<br /><br /><a href="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090613-008-7-710528.jpg"><img style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 10px 10px; WIDTH: 200px; CURSOR: hand; HEIGHT: 134px" alt="" src="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090613-008-7-710525.jpg" border="0" /></a> 20代で牧師になって、常に若く見られないようにと意識して、ひげをはやしたこともありました。最近は、逆に若く見られることの方が嬉しくなり始めました。しかし、自分は自分、その歳にあった味を出せれば、それでいいのだと思っています。<br /><br /> 土曜日には結婚式の司式をしました。新婦は私が神学校を出たばかりで初めて洗礼を授けた子供でした。私たちの結婚式のフラワーガールもしてくれました。その子供が、今や新婦として目の前に…、年月の過ぎたのを感じながらの感激です。<br /><br /> 時間は過ぎていきます。今しか出来ない事、今だから出来ること、「今は恵みの時」です。この今の時を大事に歩みましょう。<br /><p align="right">関牧師</p><br /><br /><p></p></div><div class="blogger-post-footer"><img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6754663461905439947-1984007418476277016?l=www.hccjapan.org%2FKazeblog%2Fblog.htm'/></div>風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-62650135558680790812009-06-05T10:33:00.001-10:002009-06-05T10:35:14.692-10:00Arms of Love (LAホーリネス・ユース1998)Arms of Love と 栄光主に<br /><br />1998年にLAホーリネス教会とその近くの教会が一緒になってユース・クワイアを結 成し、ハワイ、日本で公演しました。 その時に行われたものです。 <br /><br /><object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/j7wCT8SCg64&hl=ja&fs=1&rel=0"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/j7wCT8SCg64&hl=ja&fs=1&rel=0" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object><div class="blogger-post-footer"><img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6754663461905439947-6265013555868079081?l=www.hccjapan.org%2FKazeblog%2Fblog.htm'/></div>風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-62234922585375334762009-06-05T10:30:00.001-10:002009-06-05T10:32:17.674-10:00Stomp (LAホーリネス・ユース 1998)Stomp<br />1998年にLAホーリネス教会とその近くの教会が一緒になってユース・クワイアを結 成し、ハワイ、日本で公演しました。 その時に行われたものです。 <br /><br /><object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/QcphXv9H3jk&hl=ja&fs=1&rel=0"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/QcphXv9H3jk&hl=ja&fs=1&rel=0" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object><div class="blogger-post-footer"><img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6754663461905439947-6223492258537533476?l=www.hccjapan.org%2FKazeblog%2Fblog.htm'/></div>風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-28009465207049703722009-06-05T09:35:00.004-10:002009-06-06T13:33:38.953-10:006月7日2009年の週報に掲載 これで3台目になりますが、携帯電話を水に落としてしまいました。1台目は海の中へ、2台目は川の中へ、そして3台目はトイレの中へ。その携帯を何とかしようと車に乗ると、今度は車が動かないではありませんか。それもちょうど、住民説明会の前のことでした。<br /> イヤー参ったな、という感じでしたが、何か大きな祝福の前触れのような気がしました。別に根拠はないのですが、出来事を肯定的に考えることが出来るというのは、神の計画の中に生きている者の特権だと思います。<br /><br /><a href="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090603-031-7-792509.jpg"><img style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 10px 10px 0px; WIDTH: 200px; CURSOR: hand; HEIGHT: 117px" alt="" src="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090603-031-7-792506.jpg" border="0" /></a> 水曜日に持たれた住民説明会には、本当に大勢の教会の方々が集まりました。何人かの住民から、おもに駐車場についての問題が指摘されました。結局日を改めて、今度はCITYが主催する公聴会が開かれることになりました。<br /><br />「神、その道は完全」(詩篇18:30)<br /><br /> 私も奇跡的に住民の納得が得られて、建築への道が開かれることを期待していきました。しかし結果は、そうではなく、明確な反対の意志を聴くことになりました。しかし、こんな時でも、神の計画を知る者にとっては、残念であると共に、どこかに楽観的な部分があります。それは、神の計画は完全である、という信頼があるからです。<br /> むしろ、これから神はどのような道を開かれるのか、そこへの期待感が心に膨らんでいきます。<br />結局、携帯電話を乾かしていたら次の日の朝には復活していました。車もバッテリーを交換して事なきを得ました。神の最善の計画に信頼して、祈りつつ、私たちも最善を尽くしましょう。<br /><p align="right">関牧師</p><div class="blogger-post-footer"><img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6754663461905439947-2800946520704970372?l=www.hccjapan.org%2FKazeblog%2Fblog.htm'/></div>風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-9239866571518415532009-06-03T11:14:00.008-10:002009-06-05T10:27:42.613-10:00For You (LA Holiness Youth 1998)For You<br />1998年にLAホーリネス教会とその近くの教会が一緒になってユース・クワイアを結 成し、ハワイ、日本で公演しました。 その時に行われたものです。 <br /><br /><object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/VH8sOpAbI8o&hl=ja&fs=1&rel=0"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/VH8sOpAbI8o&hl=ja&fs=1&rel=0" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object><div class="blogger-post-footer"><img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6754663461905439947-923986657151841553?l=www.hccjapan.org%2FKazeblog%2Fblog.htm'/></div>風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-36654800997483295172009-05-28T11:15:00.002-10:002009-05-28T11:18:38.722-10:00You Raise Me Up5月23日(土)にハワイ日本語キリスト教会連盟が主催する、<strong>賛美フェスティバル</strong>へ行きました。 そこで歌われた賛美をユーチューブへ載せました。<br /><br /><object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/Pspv1HY89oo&hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/Pspv1HY89oo&hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object><br /><BR><P><div class="blogger-post-footer"><img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6754663461905439947-3665480099748329517?l=www.hccjapan.org%2FKazeblog%2Fblog.htm'/></div>風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-269223148576312952009-05-28T11:08:00.003-10:002009-05-28T19:54:50.429-10:005月31日2009年の週報に掲載<a href="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090627-Seikai-765494.jpg"><img style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 10px 10px; WIDTH: 142px; CURSOR: hand; HEIGHT: 200px" alt="" src="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090627-Seikai-765490.jpg" border="0" /></a> ハワイ聖会 6月27日(土)、28日(日)、3回に亘って開催されます。この聖会は、ただのイベントとは違います。私たち自身が、信仰的に成長する大きなチャンスです。<br /><br /> お時間がありましたら、とは言いません。時間を作って参加しましょう。(それでも無理な方、神は、あなたにも同じ恵みを備えてくださいます)<br /> 今回の聖会は、ホノルル教会の現在の流れの中で、とても重要なポイントになりそうです。自らを聖霊に満たされる器として、聖めていただくチャンスです。<br /><br />聖会に臨むにあたって幾つかの備えを述べます。<br /> *出来るだけ3回続けて参加する。3回のつながりがあります。<br /> *課題をもって参加する。自分の個人的な課題です。<br /> *主に応えを求めて参加する。<br /> *飢え渇きをもって参加する。主に何がなんでも応えてくださいという思いをもって。<br /><br /> 教会はキリストの体です。聖会における恵みは、参加できなかった方の上にも流れていきます。<br />参加できる方は、万難を排して、祈りそなえていきましょう。講師は、LA教会の溝口俊治師です。講師のためにも覚えて祈りましょう。<br /> さあ、空の器を主の御前に差し出しましょう。聖霊の満たしを心ゆくまで受け取りましょう。 <p align="right">関牧師</p><br /><p></p><div class="blogger-post-footer"><img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6754663461905439947-26922314857631295?l=www.hccjapan.org%2FKazeblog%2Fblog.htm'/></div>風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-29163673689312598212009-05-21T09:50:00.005-10:002009-05-23T05:52:02.625-10:005月24日2009年の週報に掲載<div><a href="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090517-019-7-704523.jpg"><img style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 10px 10px 0px; WIDTH: 200px; CURSOR: hand; HEIGHT: 134px" alt="" src="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090517-019-7-704520.jpg" border="0" /></a> 先週は3回目の賜物をセミナーを行いました。皆のPassionを分かち合いましたが、驚くほど多くのことが出されました。今度は、これらをどのように実行、実現するかということになります。<br /><br /> ミニストリー・レターを発行して、教会で行われているミニストリーを紹介したり、新しいミニストリーを呼びかけたりしながら、みんながキリストの証人として活躍できるようにしたいと思います。<br /><br /> さて、しかし状況を整えただけで、私たちはキリストを証できるのでしょうか? 状況やプログラムがキリストを証するのではありません。それらは器です。大切なのは、この器の中に聖霊が満ちておられるか、ということです。なぜなら私たちは、聖霊に満たされる時に初めてキリストを証できるからです。<br /><br /> しかし、確かに今ホノルル教会に聖霊が働かれています。だからこそ、賜物セミナーということが実現し、参加された方たちは実に楽しそうに、またあれだけのPassionが出たのは、聖霊によって一人一人にキリストの心が与えられているのです。<br /> この世にあってキリストを証しすること、これは最大最高の働きです。それだけに戦いも多くなります。勝利の秘訣は、自分自身がいよいよ聖霊に満たされることです。<br /><br />「能力によらず、権力によらず、私の霊によって」(ゼカリヤ4:6)<br /><br /> 6/27.28に亘ってハワイ聖会が持たれます。期待しましょう。この聖会を神の与えてくださった機会として、さらに聖められ、満たされる時しましょう。是非、是非、都合が良ければではなく、都合をつけて、参加しましょう。それだけの価値ある時です。<br /><br /><p align="right">関牧師</p><br /><br /><p></p></div><div class="blogger-post-footer"><img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6754663461905439947-2916367368931259821?l=www.hccjapan.org%2FKazeblog%2Fblog.htm'/></div>風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-9928579447408962092009-05-16T13:35:00.002-10:002009-05-16T13:45:08.389-10:005月17日2009年の週報に掲載<div> 今私は男性向けの「Daer to be You」に参加しています。4回のセッションの2回目が終わりました。今一度、自分と父なる神との関係、赦しについて深く考える機会となりました。<br /> 普段は、教える側が多く、いつの間にか教えるために学ぶようになってしまいがちです。今回は、頭で理解していることと、本当に自分のものとなっていることを見極めて、今一度自分を見つめてみたいと思います。<br /><br /><a href="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090411-053-7-762848.jpg"><img style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 10px 10px; WIDTH: 200px; CURSOR: hand; HEIGHT: 134px" alt="" src="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090411-053-7-762846.jpg" border="0" /></a> 昔は、自分を知ることは怖いことでした。本当の自分の弱さや欠点などを出来るだけ見ないようにして、理想的な自分を一生懸命に演じていました。でも、父なる神を知ってから、自分を知ることが怖くなくなりました。それどころか、自分の弱さや欠点、罪深さが分かるほど、神の愛と赦しの深さが分かるようになりました。<br /><br /> 自分で自分のことは分からないものです。牧師館のバスルームにある横長の鏡は、真正面と端横では映る形が違います。顔が太かったり、痩せたり見えます。痩せたいときは、端っこで自分の顔を見ると安心できる便利な鏡です。 </div><div> でも実際の自分の顔はどちらが正しいのだろうか? よく考えると私たちは本当の自分の顔を知らないのかもしれませんね。鏡やビデオに映っている姿は実際とは違うことがあります。 </div><div><br /> どの自分が本当の自分なのだろうか? それは他人の目でも、鏡に映る自分でもなく、神の目に映っている自分です。神の目にどう映っているのか、それが本当の自分です。わたしの目には、あなたは高価で尊い。<br /><br /></div><p align="right">関牧師</p><div><br /><br /></div><p></p><div class="blogger-post-footer"><img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6754663461905439947-992857944740896209?l=www.hccjapan.org%2FKazeblog%2Fblog.htm'/></div>風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-60544702043200024182009-05-08T19:16:00.001-10:002009-05-08T22:26:04.041-10:005月10日2009年の週報に掲載<div> 母の日の起源は、1900年代のアメリカヴァージニア州にあると言われています。1905年5月9日、アンナ・ジャービスという人の母親が亡くなりました。やがて彼女は、「亡き母を追悼したい」という想いから、1908年5月10日、フィラデルフィアの教会で白いカーネーションを配りました。これがアメリカで初めて行われた母の日だそうです。<br /><a href="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090314-135-7-737854.jpg"><img style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 10px 10px 0px; WIDTH: 200px; CURSOR: hand; HEIGHT: 134px" alt="" src="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090314-135-7-737852.jpg" border="0" /></a><br /> この風習がアメリカのほとんどの州に広まりました。そして1914年、その時のアメリカ大統領だったウィルソンが5月の第二日曜日を母の日と制定しました。<br /><br /> ちなみに日本で初めての母の日を祝う行事が行われたのは明治の末期頃で、1915年(大正4年)に教会で祝われ始め、徐々に一般に広まっていったと伝えられています。 母の日の本質は「感謝」にあります。数ある感謝の中でも、自分という命を産み出してくれたことへの感謝、これが最大の感謝だろうと思います。ですから母に感謝することは、自分がここに存在していることへの感謝にもなります。<br /><br /> 当たり前のように母に感謝できる人は幸いです。しかし、母に感謝することが難しいという人が実は多くいます。様々な事情があるでしょう。しかし、今あなたがたここに存在していること、つまり、母から産み出されたことを思い感謝を捧げましょう。<br /><br /><p align="right">関牧師</p><br /><br /><p></p></div><div class="blogger-post-footer"><img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6754663461905439947-6054470204320002418?l=www.hccjapan.org%2FKazeblog%2Fblog.htm'/></div>風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-83571280910337981752009-04-30T08:42:00.008-10:002009-05-03T19:50:57.036-10:005月3日2009年の週報に掲載<div><a href="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090426-010-7-739749.jpg"><img style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 10px 10px; WIDTH: 200px; CURSOR: hand; HEIGHT: 134px" alt="" src="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090426-010-7-739746.jpg" border="0" /></a> 先週は、賜物テストを実施しました。自分でも何が出るか楽しみでしたが、私のい場合はだいたい予想通りでしたが、何だと思いますか? まだ受けておられない方、いつでも受けられますので声をかけてください。<br /><br /> 先日、久しぶりに軽くジョギングをしました。予想以上に身体が重く感じましたが、これを機に運動量を増やしていきたいと思います。肉体の健康は、供給と消費のバランスが重要です。 私の知り合いの高校生の息子はマラソン選手で、毎日相当の距離を走りこんでいました。一度食事を共にした時、彼は酢大豆をポリポリかじりながら、とても健康的な食事をしていました。<br /> しばらくして、彼が栄養失調で倒れたと知らせを受けました。びっくりしましたが、あれだけの運動量には栄養が足りなかっただろうなと、妙に納得がいきました。<br /> 逆に栄養を摂るばかりで、運動をしなければメダボになって、お腹に脂肪がたまり、血圧も、血糖値も上がって、言わずと知れた成人病になってしまいます。<br /><br /> 教会はキリストの体です。私たちの霊的な健康も同じことが言えます。恵みを十分にいただくことと、宣教の働きをすることと、両者のバランスが大切です。あなたのバランスはどうですか? やせ過ぎだと思う人は、働きよりも恵みに満たされることを求めて、太り過ぎと思える人は、宣教の働きに参加することを考えてみましょう。<br /> そのために、賜物を発見して、自分がどのような場で賜物を活かして働くことが出来るのか、求めてみましょう。<br /><br /><br /><p align="right">関牧師</p><br /><br /><p></p></div><div class="blogger-post-footer"><img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6754663461905439947-8357128091033798175?l=www.hccjapan.org%2FKazeblog%2Fblog.htm'/></div>風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-16194813039176203432009-04-23T09:55:00.004-10:002009-04-23T21:24:58.424-10:004月26日2009年の週報に掲載<a href="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090410-032f-5-771821.jpg"><img style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 10px 10px 0px; WIDTH: 200px; CURSOR: hand; HEIGHT: 128px" alt="" src="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090410-032f-5-771819.jpg" border="0" /></a> 今日から「最高の人生」というテーマのもとに、賜物を発見し、それをいかに用いていくかについてのセミナーが始まります。グレース・トキ女史がセミナーを導いてくださいます。<br /><br /> 私たちの思いが形になるためには、人、賜物、計画が必要です。主の愛に触れられて、満ち溢れる喜びを持っている「人」。そして、それぞれに与えられている「賜物」。さらに、違う賜物が組み合わされて一つの働きとなるための「計画」。それらが揃ってはじめて、思いが形となります。<br /><br /> 私も、神学校に入った1年目の時、21年前の事ですが、あまりに福音を伝えたいという情熱に燃えて、新宿の街角で一人聖書を持って「主イエスを信じましょう!」叫んだことがあります。しかし、情熱は分かりますが、かえって道行く人に「変な人」に思われてしまい、かえって躓きを与えてしまったのではないかと思います。<br /><br /> 福音グッドニュースを走ってでも知らせたい、この思いは今でも変わりませんが、一人よがり、では良い実は結ばれません。聖書が語るように、私たちは「キリストの体」として、それぞれの賜物が組み合わされて、チームで働くことが必要です。<br /><br /> 今日から3回に亘ってのセミナーの中で、まず賜物の発見テストを行います。その結果はとてもエキサイティングなものになるでしょう。次にその賜物をどのように活用し、一つの働きとして実現していくかについて学んでいきます。<br />「共に走る」方々、どうぞご参加ください。 関牧師<div class="blogger-post-footer"><img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6754663461905439947-1619481303917620343?l=www.hccjapan.org%2FKazeblog%2Fblog.htm'/></div>風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-6618885207281415552009-04-18T19:06:00.000-10:002009-04-18T19:07:56.458-10:00あふれる命イースター礼拝に子供たちと一緒に賛美しました。 その時の様子を載せました。<br /><br /><object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/782H3-FCJFg&hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/782H3-FCJFg&hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object><div class="blogger-post-footer"><img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6754663461905439947-661888520728141555?l=www.hccjapan.org%2FKazeblog%2Fblog.htm'/></div>風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-50919110042145379602009-04-16T09:49:00.003-10:002009-04-17T02:13:15.674-10:004月19日2009年の週報に掲載 十字架、復活と続き、次に何が来るのでしょうか? ここで止まってしまうと、この素晴らしい恵みが個人の内面で留まってしまいます。主の復活を知ったマリヤたちは、次ぎに何をしたのでしょうか?彼女たちは「走って」他の弟子達に復活の事実を知らせに行きました。<br /> そうです「知らせる」、つまり福音の宣教が始まるのです。このグッドニュースは、主の十字架と復活を経験した者たちの内側から、大きな喜びと共に溢れ流れてくるものです。<br /><br /><a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090412-041-7-755225.jpg"><img style="margin: 0pt 0pt 10px 10px; float: right; cursor: pointer; width: 200px; height: 134px;" src="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090412-041-7-755223.jpg" alt="" border="0" /></a> 最近、何でもいいですが、大きな喜びをもって伝えずにはおれない、というメッセージを持ったことがありますか? 一分でも一秒でも速く「走って」伝えたいというものです。そのようなメッセージを持つことが出来ること自体、本当に幸せなことですね。伝える自分自身が一番恵まれます。<br /> 鈴木先生が「自分の足で立つ」というテーマで11年間ホノルル教会を牧会してくださいました。それを受けて私は「自分の足で歩く」というテーマを掲げました。これは信仰の自立に関わることでした。今回、次のテーマが与えられました。それは「共に走る」です。<br /> マリヤたちは、あまりの喜びのゆえに走らずにはおれなかったのです。私たちも、自分の足で立って、歩いたら、今度は仲間と一緒に、このグッドニュースを知らせるために、共に走り出しましょう。私たちは、それほどの喜びを頂いているのですから。<br /> そのために、賜物を発見し、活用し、チームを結成し、溢れる命の源となりましょう。福音が語られるなら、素晴らしいことが起こります。 こんな喜びの人生はありません。最高の生き方です。<br /><p align="right">関牧師</p><br /><p></p><div class="blogger-post-footer"><img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6754663461905439947-5091911004214537960?l=www.hccjapan.org%2FKazeblog%2Fblog.htm'/></div>風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-31948395861414754922009-04-08T12:06:00.004-10:002009-04-17T02:08:26.898-10:004月12日2009年の週報に掲載<strong><span style="font-size:130%;">今日は復活祭! 主の復活を心から喜びましょう。</span></strong><br /><br /><div> 私たちの信仰、宣教の実質は「復活」の歴史的事実にあります。</div><br /><div><a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/080526-048-7-767059.jpg"><img style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left; cursor: pointer; width: 200px; height: 150px;" src="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/080526-048-7-767053.jpg" alt="" border="0" /></a>「キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のもになります。」(Ⅰコリント15:14)と記されている通りです。<br /></div><br /><div> 復活など神話に過ぎない、と言う人はいつの時代にもいます。しかし、復活が事実であるかどうかを一番知っているのは使徒たちです。人は偽りのために命をかけることは出来ません。使徒たちは全員が殉教しました。あの臆病なペテロにしても、イエスが生きている時でさえ裏切った者たちが、ましやてやキリストの死後、復活という嘘のために命をかけることはあり得ません。<br /></div><br /><div> 彼らは、確かに復活のキリストに出会ったのです。その手とわき腹に、十字架の傷跡を見たのです。だからこそ、復活の証人として最後の一息までキリストの福音を宣教したのです。<br /></div><br /><div> キリストの十字架の死と復活は歴史的事実です。私たちの信仰は、単なる神話や言い伝え、人が作り出した教理に立っているのではありません。また自分の感覚や体験、感情の起伏に立っているのでもありません。キリストが、私のために死なれたこと、そして復活して今も生きておられること、この事実に立っているのです。<br /></div><br /><div> パウロは、もし復活がないのなら、自分はすべての人の中で最も哀れなものだ、と言いました。それはそうでしょう、ありもしない偽りのために命を懸けているのですから。しかしパウロは、キリストは死者の中からよみがえった! と高らかに宣言しました。主は今も生きておられます。 これは歴史的事実です。 </div><br /><div><p align="right">関牧師</p><br /><p> </p></div><div class="blogger-post-footer"><img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6754663461905439947-3194839586141475492?l=www.hccjapan.org%2FKazeblog%2Fblog.htm'/></div>風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-47436872393702373562009-04-01T18:30:00.005-10:002009-04-16T09:53:57.271-10:004月5日2009年の週報に掲載 今日から受難週に入ります。10日の金曜日はグッドフライデー、そして主日は復活祭へと続きます。この8日間は、主の苦しみの極みから復活の歓喜へと向かって行く、まさにキリスト教の真髄が現れるような日々です。<br /> しかし、街中はいつもと変りません、日常生活が流れています。いつものように、仕事に行き、学校に行き…。でもそんな日常の中で、主は絶えず語っておられます。決して山奥の静寂の中だけではなく、雑踏と騒音の直中にも主はおられます。<br /> この受難週の期間、YOUTUBEでバッハのマタイ受難曲を聴いて黙想してみるのもいいでしょう。ヘンデルのメイサヤもいいでしょう。黙想のしおりも是非用いてください。グッドフライデーの集会では聖餐式もあります。是非ご参加ください。<br /> 中には、静まる余裕のない方もおられるでしょう。一日の5分間でも、主の御前に静まって、主の十字架に想いを向けることが出来ればと思いますが、心に余裕がなければその5分間さえも持てないものです。<br /><br /><a href="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/080320-063-7-760288.jpg"><img style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 10px 10px; WIDTH: 150px; CURSOR: hand; HEIGHT: 200px" alt="" src="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/080320-063-7-760284.jpg" border="0" /></a> しかし、もともと私たちは自分の想像力で主の十字架のもとにいくわけではありません。聖霊によって初めて、あの主の十字架のもとに導かれるのです。聖霊は永遠のお方です。ただ私たちは、これまでより一歩でも近く、主のもとに近づきたい。言い伝えによると使徒ヨハネは、主の十字架から流れ落ちる血潮を、その手に受けたと言われています。それくらいに、主の近くに導かれたいと思います。<br /><p><br />一人一人が聖霊に導かれて この受難週を過ごしましょう。<br /><p align="right">関牧師</p><br /><p><br /></p><div class="blogger-post-footer"><img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6754663461905439947-4743687239370237356?l=www.hccjapan.org%2FKazeblog%2Fblog.htm'/></div>風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-73025319274862076722009-03-25T12:27:00.007-10:002009-03-26T08:28:44.101-10:003月29日2009年の週報に掲載 ここ2週続けて牧師館でパーティが持たれました。皆が集まって、美味しい食事をいただき、笑顔で交わり、子供たちが駆け回り、わいわいと楽しい一時でした。 <br /><div><br /><a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090322-035-7-786275.jpg"><img style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left; cursor: pointer; width: 200px; height: 134px;" src="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090322-035-7-786271.jpg" alt="" border="0" /></a> ハワイの牧師はバーベキューが出来なければ勤まらないと、某牧師が言っていました。料理ならお手のもの、バーベキューも大歓迎です。しかし今回は、鍋奉行ならぬ、バーベキュー奉行もあることを知りました。火をおこす所から、焼く順序、焼き方まで、全部自分が仕切らないと気がすまない、ということです。<br /><br /> そう言われれば、確かに自分は、まず鍋奉行であることは間違いない。年末の鍋パーティでは3種の鍋を朝から準備して、具材を入れて、取り分けるまで、全てを仕切っているし、それが実に楽しいのです。ただし、自分の段取りと違うことが起こると、機嫌を損ねるという厄介な存在でもあります。<br /> この度は、ある方からバーベキュー奉行の名前も頂戴いたしました。喜んでいいのか、悪いのか…。でも皆が美味しいと言って食べてくれるのが何よりです。<br /> バーベキューを見て、いつも思い出すことがあります。ある時、主の祭壇に自分自身を捧げる、という聖化の話をしていた時のことです。ある方が、自分の古き人、肉なるものは、じわじわと弱火でなく強火で一気に焼き尽くして欲しいと祈りました。自分の肉の性質が取り扱われるときは、時間をかけないで、一気にやって欲しいということです。その気持ち分かります。バーベキューで肉を焼く度に、自分の肉性もこのように聖霊の火によって焼かれるのだと…、霊的なバーベキュー奉行なのであります。</div><br /><p align="right">関牧師</p><p></p><div class="blogger-post-footer"><img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6754663461905439947-7302531927486207672?l=www.hccjapan.org%2FKazeblog%2Fblog.htm'/></div>風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-26184959015042473782009-03-18T20:45:00.002-10:002009-03-19T20:40:12.997-10:003月22日2009年の週報に掲載 ダビデ・マーチン宣教師 彼は1924年生まれ、1951年に宣教師として来日して以来、9つの教会を開拓し2月10日に天に召されました。 このニュースを知って、しばし感慨に浸りました。私がマーチン先生と初めてお会いしたのは、幼稚園の頃のようですが、その時のことは、ほとんど覚えていません。<br /><br /><a href="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090212-205-7-766799.jpg"><img style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 10px 10px; WIDTH: 200px; CURSOR: hand; HEIGHT: 134px" alt="" src="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090212-205-7-766796.jpg" border="0" /></a> 記憶にあるのは、病院のベッドの側で祈ってくださった姿だけです。<br /> 当時の私は、17歳だったと思います。3人を相手に喧嘩でぼろぼろに負けてしまいました。丸太でめった打ちにされて、足の骨も折られ、救急車で病院に運ばれました。全身の痛みで動くことが出来ず、痛みで唸っていました。パンチパーマの友人がベッドを囲んでいる時、マーチン先生が入って来られました。ひげもじゃの大男でした。<br /> 私は、その人が母に連れて来られたキリスト教会の人だということがすぐに分かりました。心底を嫌な気持ちになりました。頼むからかえって欲しいと思いました。しかし、動けない状態で何も抵抗が出来ませんでした。<br /> マーチン先生は、ただベッドにひざまずいて祈られました。私は友達の手前もあり、恥ずかしいやら頭に来るやらで、とにかく帰って欲しいとだけで思っていました。<br /><br /> その後、私は高校を卒業しコックの道に入りました。19歳で渡米し、20歳で洗礼を受けました。そして23歳の時に、牧師になる決心をして帰日しました。聖書学院に入る前、私はマーチン先生と再会しました。まさか、あのどうしようもない青年が、献身して牧師になるとは!先生も驚いておられました。涙をもって蒔いた種は、喜びと共に刈り取る、神の約束は確かです。<br /><br /><p align="right">関牧師</p><p><br /><p></p><div class="blogger-post-footer"><img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6754663461905439947-2618495901504247378?l=www.hccjapan.org%2FKazeblog%2Fblog.htm'/></div>風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-47627728380892256882009-03-10T16:37:00.007-10:002009-03-11T07:33:26.636-10:003月15日2009年の週報に掲載<a href="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/Nik081230-056-6-798485.jpg"><img style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 10px 10px 0px; WIDTH: 200px; CURSOR: hand; HEIGHT: 157px" alt="" src="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/Nik081230-056-6-798300.jpg" border="0" /></a> 「人生は出会いで決まる」と言われます。出会いがあれば、別れもあります。今日は、吉田文人兄のホノルルでの最後の礼拝になります。4月から東京聖書学院の神学生となります。張ファミリーも1年間の滞在を経て3月一杯で日本に帰国されます。別れの寂しさを感じている中で、3年前にハワイから米本土に越された武岡ファミリーが戻って来られました。<br /> 特に日本人教会では、人の出入りが目立ちます。先日聞いた話しですが、シカゴのある日本人教会では、30人もの人が日本に帰るそうです。不景気を反映して、クリスチャンの駐在員が一気に引き上げるようです。<br /><br /> 私がハワイに来て4月で4年になりますが、たくさんの出会いと別れを経験しました。出会いは嬉しいものですが、分かれはいつでも寂しいものです。慣れるということはありません。それでも、引っ越した先で教会につながっているという報告を聞けば、本当に安心します。<br /><br /> 今は受難節です。イエスは十字架にかかる前夜、弟子たちに<strong>「わたしが去ることは良いことだ。助け主(聖霊)が与えられるからだ」</strong>(ヨハネ16:7)と言われました。<br /><br /> また<strong>「わたしは、あなたがたを捨てて孤児とはしない」</strong>(14:18)とも言われました。イエスが十字架で死なれること、それも別れでした。しかし、その別れは、決して悲しみと失望で終わるものではなく、将来に希望を与えるものでした。私たちの別れも、前に進むために、希望に向かうために必要な神の計画です。そしてイエスは復活され弟子たちに再会したのです。別れと再会、今日は素晴らしい日です。<br /><p align="right">関牧師</p><br /><p><br /></p><div class="blogger-post-footer"><img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6754663461905439947-4762772838089225688?l=www.hccjapan.org%2FKazeblog%2Fblog.htm'/></div>風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-13820142005387626182009-03-04T10:19:00.004-10:002009-03-06T07:21:00.344-10:003月8日2009年の週報に掲載<div> すでに教会の暦では、先週から受難節に入っています。今年は4月10日がグッドフライデー、12日が復活祭となります。毎年、この時期は、特に十字架の主を想う期間としてアピールしています。 <br /><br /> この期間、ある教会では肉類を断ったり、お酒を控え、あるいは祈りに集中するために断食の時をもったりと、それぞれの過ごし方があります。私たちの教会では、特別な規定を設けてはいませんので、過ごし方は各自の自由です。しかし、大切なのは、十字架の主を想う、ということです。<br /><br /><a href="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090215-042-7-736323.jpg"><img style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 10px 10px; WIDTH: 200px; CURSOR: hand; HEIGHT: 134px" alt="" src="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090215-042-7-736320.jpg" border="0" /></a> 何もこの時期だけのことではありません。十字架の主は、常に私たちの信仰の中心です。十字架のキリストに対して、自分自身がどのように相対するかが全てです。そこで、何を聴き、何を見て、何を感じ、何を決めるか、それが私たちにとって最も重要な体験、選択となります。ここが曖昧だと、信仰の全てが曖昧になります。<br /><br /> 私たちが十字架の主に相対するとき、聖霊は次のことを私たちの心に問われます。「イエスを十字架につけたのは誰か?」この問いの重要性は、とても言葉で表現できません。永遠の命がかかっている、究極の問いかけです。この問いかけに対して、どう応えるか…?<br /><br /> すべてが、ここから始まります。もしクリスチャンであっても、この問いかけに応えていない人がいたら、本当の意味での恵みと祝福には、まだあずかっていないでしょう。フルコースの匂いをかいだようなものです。十字架から与えられる祝福は、全世界を天秤にかけても、余りあるほどの祝福です。 この時期、十字架の主の前に一人立ち、それぞれが聖霊に導かれ、素晴らしい体験をされますように。<br /><br /><br /><p align="right">関牧師</p><br /><br /><p></p></div><div class="blogger-post-footer"><img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6754663461905439947-1382014200538762618?l=www.hccjapan.org%2FKazeblog%2Fblog.htm'/></div>風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-162369318501535742009-02-26T12:11:00.003-10:002009-02-27T07:22:23.212-10:003月1日2009年の週報に掲載 先週は、LAから溝口先生が来布してくださり、教団の機構改革の説明会を開いてくださいました。1950年以来の機構改革ということですが、ここまで来るのに7年間かかっているとのこと。組織を変えるということは、大変な労力が必要です。<br /><br /> 改革の必要ない完璧な組織というものは有るのでしょうか? どんなに完璧に見えても、時代の変化の中で絶えず改革が求められるでしょうし、むしろ組織というのは、人、状況、ビジョンに合わせて変わるべきものでしょう。<br /><a href="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090212-230-7-701349.jpg"><img style="FLOAT: left; MARGIN: 0px 10px 10px 0px; WIDTH: 200px; CURSOR: hand; HEIGHT: 134px" alt="" src="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090212-230-7-701347.jpg" border="0" /></a><br /> そこで重要なのは「何のために?」という動機と目的となります。それは、「各地域教会がキリストの体として成長し、キリストの働きを充分に行うために」というものです。それが私たちの動機であり目的です。そのために、ふさわしい組織形態を考えているのです。これさえブレなければ大丈夫です。そのために常に、より良い形を求めていけばよいのです。<br /><br /> 今は健康ブームですが、教会も、怪我をしたり、病気になったり、動脈硬化のようになったりしたら、思うように動くことが出来ません。教会がキリストの体として常に健康であるようにと願います。機構改革は、さながら身体全体のバランスを整えることでしょうか。骨、血管、内臓、筋肉、神経、各器官、そして心、全てがバランスよく動くように。<br /><br /> キリストが教会の頭です。ですから、キリストの御心を充分に行うことが出来るように、これが私たちの存在意義であり、目的です。このための改革であることをしっかりと持ち続けましょう。<br /><p align="right">関牧師</p><p><br /></p><div class="blogger-post-footer"><img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6754663461905439947-16236931850153574?l=www.hccjapan.org%2FKazeblog%2Fblog.htm'/></div>風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-6754663461905439947.post-35326038898314709642009-02-19T09:05:00.002-10:002009-02-20T22:29:16.414-10:002月22日2009年の週報に掲載<a href="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090215-052-7-732138.jpg"><img style="FLOAT: right; MARGIN: 0px 0px 10px 10px; WIDTH: 200px; CURSOR: hand; HEIGHT: 134px" alt="" src="http://www.hccjapan.org/Kazeblog/uploaded_images/090215-052-7-732112.jpg" border="0" /></a> 目を閉じて、ふと耳をすませてみる。子供たちの歌声、泣き声、誰かの大きな笑い声も聴こえる。車の走る音、バイクの音が聴こえた。あれは空を飛ぶ飛行機の音だろうか? 鳥の鳴き声がした。ピアノの音も鳴り出した。最後に時計の秒針の刻む音があることに気がついた。<br /><br /> 教会の2階のオフィスにいる3分間で聴こえた音です。実に様々な音があるものだと感心しました。でも、心を落ち着けて、耳を開いて聴こうとしなければ、ほとんど聴こえないものばかりです。秒針の刻む音なんて、目の前で鳴っているのに全く聴こえていません。<br /><br /> でも、全ての音が聴こえたら、きっと疲れてしまうでしょう。音って気になったら、水道の蛇口から垂れる水滴の音でも気になって眠れなくなることがあります。心が向くと、どんな小さな音でも気になってしまいます。逆に心が向いていないと、目の前の音でも気にならないものです。<br /><br /> 最近、もっともっと神の御声を聴きたいと強く思います。聖書には「細き御声」とありますが、神の御声とは、耳をすませて、心を傾けないと聴こえない声なのですね。イエスは「耳のある者は聴きなさい」と語られました。よく「あの人は、聴く耳を持たない」と表現することがありますが、耳は持っていても、聴く耳は…?<br /> 神の御声を求めている人、意外と目の前に、その声はあるのかもしれませんね。今日もマノアの優しい風に吹かれながら、風の中に「細き御声」を探している自分がいます。<br /><br />「主よお語りください。しもべは聴いています。」 関牧師<br /><p></p><div class="blogger-post-footer"><img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6754663461905439947-3532603889831470964?l=www.hccjapan.org%2FKazeblog%2Fblog.htm'/></div>風の吹くままにhttp://www.blogger.com/profile/16221284918024518364noreply@blogger.com0